越前屋俵太がテレビに出なくなった理由・・・・・「省故挑新」

インターネット等を利用して簡単に情報が手に入る時代となった今、様々な知識が巷に溢れています。
知的欲求を満たすには最適な時代かもしれません。
ただ、歳をとる毎に知識はどんどん増えていくのですが、それとは反対に、新しい事に挑戦するチャレンジ精神が、だんだん減ってくるのが気になります。別に新しい事をしなくても現状を維持すれば何とかなるという「安定」が目の前に立ち塞がります。
「安定」別に悪い響きではありません。まさしくこの為に死にものぐるいで働いてきたのですから。

若かりし頃、お金はなく不安定だったけれども、毎日が楽しかった記憶があります。

何故、楽しかったのでしょうか。

自分の過去と真剣に向き合う必要があるのかもしれません。
今の自分があるのは、頑張ったからだとは思いますが、反対に大切なモノを無くしてしまったのではないでしょうか。

10年前、私自身、コノママいくと、例えお金があったとしても、つまらない人生になってしまうのではないだろうか。
そう考えたのではなく、そう感じました。
感じたのなら仕方がない。感じてから、あれこれ現実とも戦いながら時間がかかりましたが、
人生はやっぱり面白い方がいいと思って、きっぱり一切の仕事を辞め、山に籠りました。

今、こうやってブログを書けるようになりましたが、いやー、長い10年でした。

私の場合は、たった20年間の「越前屋俵太」という過去の歴史に押しつぶされそうになったのですが、私の生まれ故郷である京都の場合はこれが1200年も続く歴史となるわけですから大変です。400年続く老舗、伝統芸能しかり、過去の歴史に囚われて身動き出来ない人達も多いのではないかと思います。

このままではいけないので、何かをしなければならない。しかし新しい事をするにはリスクが多すぎる。

ここで、大切なのは、やはり過去という事実です。
しがみつく過去ではなく、過去をきれいさっぱり一度捨て去る事も大切かと思います。
使える物は使って等と考えているうちは結局何も出来ません。

「温故知新」伝統、文化、歴史、古きを訪ねて新しきを知る。
とても素晴らしい先人が残してくれた言葉だと思います。

しかし、これからの時代は、知るだけでは乗り切れません。
こんな時代だからこそ、知っているという「知識」ではなく、知らなくても飛び込んでいくという根性、いうなれば「創造力」が必要だと思います。

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古きをしっかり省み、新しきに挑む!まさしく「省故挑新」です。

「挑」には、自らの手でかき乱す、ふるい動かす」という意味があり、
「新」という字は何年もかかって苦労して育てた木を斧でばっさりと切って、また別の物として作り直すという意味があるそうです。

過去にとらわれず、是非、皆さんも新しい事にチャレンジして下さい。

私は書動家として表現活動をする傍ら、大学の教授をしたり、家具をデザインしたりと今までやってこなかった事に挑んでいます。

出来る出来ないは別として挑む心はまだ健在です。

とはいうものの、めんどくさいんだな~、これが!(笑)


  • Kushihama Yasuyo

    とにかく,動けるうちにすることが大事です。膝を痛めてから私は,どうも面白くありません。
    ただ,深く考えることもなく,このブログのコメント欄には平気で飛び込んできていますが。(笑)