俵越山美術館またひとつ増えました!

今日は、瀬田にあるラフティングなどのアクティビティを瀬田川を中心に展開してるフレンドシップアドベンチャーズという会社に遊びにいってきました。

フレンドシップアドベンチャーズの井田社長とは以前、現在、YOU TUBEで流しているTAWARA.TVのワンカメ「瀬田川を流れる!」という俵プロダクション自社制作の番組でお世話になって以来、なんだかんだとお付き合いして頂いております。

【その時の映像】

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文句があるならかかって来い!

若い時は出来るだけ努力をせずに、如何に楽に生きるかということばかり考えていたような気がします。

しかし結果的に、いかに努力せずに生きるか、という事を真剣に考える努力をしていたような気がします。

結局、努力してるんだったら、最初から真面目に努力すればいい話なんですけど、多分、「努力」って言葉が嫌なんだろうと思います。

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私が大学で教えていること

今日で関西大学の春学期の授業が終わりました。今学期は受講生が多かったですね。300人を超えてました。大学側も受講人数が多くなると特別手当を出してくれるのですが、さすが関大、この金額が凄い、本当にビックリします。大人数手当が月に1000円って、一回の授業で250円じゃないか。子供のお小遣いじゃないんだから、これじゃあ弁当も買えないよ~!でもご配慮ありがとうございます!がんばりま~す!

受講生一人当たりいくらみたいな方式だったら、大学も変わるのにね。それにしても今日は最後の授業だったので、テストに関する情報が出るんじゃないかという事でいつもにもまして、沢山の生徒が受講してくれました。ありがとうございます。最後にみんなに配った授業のレジュメを乗せておきます。

一般のみなさんは僕がどんな授業をしているのかは、これを見て想像して下さいね。

「面白い」とはどういうことか

拘束(制約)され続ける事で爆発する解放の力

学校に拘束されている毎日を送っている中学生のような感覚。彼等は自由が欲しいと思っている。
髪の毛を伸ばしてはいけないという校則があるから、伸ばしたいという欲求に駆られる。

冷静に考えれば髪の毛なんて、なんでもいいに決まっている。でも伸ばすなと言われるから伸ばしたい。
そうする事で自由が得られたような気になる。

本当に自由な人は、自由なんて欲しいとは思わない。
それと、同様に、毎日が面白くて仕方がない人が、面白い事はなんだろうとは考えない。

毎日が面白くないと思い続けている状態が、「面白い」を生み出す原動力になっているはずである。
すなわちネガティブがポジティブの原動力になっている。

ネガティブはポジティブの原動力だ!

「面白い」を考えるという行為は、言い換えれば、退屈な毎日をなんとかしようとする行為でもある。ただ、非常にやっかいなのは、毎日をなんとか面白くしようと本気で考えれば考える程、考えが煮詰まり、頭が固くなっていってしまう事である。

そうなってしまったら、かりに面白い事を考えついたとしても、その思考期間の長さや深さ故、自分自身がおもしろがれない精神状態に陥ちいってしまう可能性が出てくる。すなわち、考えた事は「面白い」はずなのに、その事を楽しむ余裕が、まったくない状態になってしまっているという事である。

既存と未存

私はすでに存在する物を全否定するところから「面白い」は始まると思っている。既に存在する事を模倣する事を面白いとは思わない。マーケティング的には「既存」を分析する事は大切ではあると思うが、創造には、「既存」は敵である。今はそれが面白いかどうかはわからなくても、未来にきっと面白いであろう事が存在するはずだという考え方が大切なような気がしてならない。私はこれを「既存」に対抗して「未存」と名付ける事にした。

では、どうすれば「既存」ではなく「未存」に出会えるのか?

具体的な方法の一つとしては、自分から直接的に「おもしろい」と思う事を仕掛けてはいけないという事だと思っている。
面白い事を直接的に仕掛けようとすると、仕掛ける前にある程度、予測が立ってしまうからである。
こうすれば、こう面白いだろうと考えて仕掛けた時点で、自分の中でその事がすでに既存になってしまっている。
結果として、面白かったとしても、すでに予測をしていた事が起こっただけである。

面白い事をしようとして、結果、面白くなったわけだから、一般的にはそれで十分だと思うが、私としては面白くない。

意図的では無いものを意図的に作り出す方法

面白くしようとする作為が見えた瞬間、その行為はおもしろくなくなる。もちろん、自分が考えた予測に対して結果を強引に持っていってはならない。自分が予測した結果に強引に持っていく手法を、TV業界では「やらせ」と呼んでいる。はっきり言って「野暮」である。そんなもの見ている人が、例え笑ったとしても、私からすれば、面白くもなんともない。ただ、結果のみ(視聴率)を求めるテレビ業界では、やりすぎなければ、重宝される手法である。

私の考える、本当に「面白い」という事はそんな事ではない。

果たして、意図的では無いものを意図的に作り出す方法など存在するのであろうか。

結果ではなくプロセスを面白がる

面白い事をやろうとして緻密な計画を立て、実行して、予想通り面白かった、ではなくて、何気なくやっていたら結果的に死ぬ程、面白かったという状態を作れないんだろうかという事である。
それには「面白くしよう!」という作為ではなく、何でも「面白がる!」という状態が大切になってくる。

この状態は難しそうに思えるが、みんな過去に一度は体験している状態である。

子供の時、面白くしようと思って遊んでいる子供はまずいない。遊んでいて面白かったのは、熱中したり没頭したりして、その瞬間「無」になっていたからだと思う。面白かった、というのは結果である。
この事は、私にかなりのヒントを与えてくれた。

「脳ぶら」のすすめ

私は大人になっても、感覚だけは限りなく子供の時の状態に戻るべきだと思っている。その為の手法として「脳ぶら」状態になる事を薦めている。「脳ぶら」とは、出来るだけ脳に考え(固定概念)を持たないという状態である。
「脳ぶら」状態になる為には、最初から何も考えないという事ではなく、考えるだけ考えて、もう以上考えても仕方がないレベルまでたどり着けば、潔く、きっぱりと、何も考えずに放ったらかしておく。そんな感じである。

中途半端はいけない。とにかく考える時はなりふり構わず、持てる力を振り絞って、ガムシャラに必死に考えたほうがいい。この時に深く考えておけば考えておいただけ、どうにかなる間口が広がっているはずである。後は潔くきっぱりである。

EMOTIONAL MOVINGと創発

大学生にとって社会に出る為には「Logical Thinking」も大切だが、論理的に考えていては、なかなか創発は起こらない。むしろ私は「Emotional Moving」が大切であると考える。そんなには難しくはない。すなわち感じたら、即動くという事である。思考が深すぎるのも問題である。考え過ぎて身動きが取れない大人達を見ていれば一目瞭然である。

感じて動いた事で、自分が予測もしなかった事が起こることを恐れてはいけない。むしろその状態こそが、望むべき事であり、その状態を楽しむ事が大切である。

結論として

自分で結果を予測してはいけない。

予測不可能状態をキープし続ける事で、可能性が広がる。

しかし、予測しなければ、人間は誰しも不安になる。

陥る不安状態を未知の可能性に変換するポジティブコンバーターを搭載しよう!

明日、何が起こるかは誰にもわからない。

誰も予測出来ない未来に存在する面白いこと。

これが私の考えるエンターテインメントである。

Twitter:@etsuzan_tawara

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