利休魚籠にみる見立ての本質
その昔、千利休は、釣りをしていた漁師の腰にぶらさがっていた使い込まれた魚籠をみて
ふとひらめき、その魚籠を手に入れ、花を生けたと言われています。
何気ない魚籠を花器に見立てる。
大切な日本の心のひとつであったような気がします。
しかし、残念な事に現在では魚籠の形そのものが受け継がれ、利休魚籠という形が価値があるように思われています。
本当の価値は魚籠そのものではなく、見立てた心にあったはずです。
形そのものに価値を見いだそうとしてしまっているのは少し残念な気がします。