越前屋俵太30周年特別寄稿

越前屋俵太は直球しか投げなかった。

いや、正確にいうと、直球しか投げれなかった。

彼の投げた球は誰も打てなかった。

それは、速かったからじゃない。

バッターが打てる所に球がいかなかった。

そう、彼の投げる球はいつも大暴投だった。

彼の投げる球はいつもバックネットを揺さぶった。時にはスタンドに飛び込んだ。

どんなに投げても球はストライクゾーンとは程遠い所へ飛んだ。

わざとじゃない。本気で投げるといつもそうなった。

自分でも、何処に球が飛ぶのかわからなかったから、

そりゃ、誰も打てない。

観客も面白がり、越前屋俵太の暴投ぶりを楽しんだ。

嬉しかった。と同時に少し欲がでてきた。

活躍していた有名人ピッチャーのように三振がとってみたい。

ある時、肩の力を抜いて、ゆっくり投げてみたら、ストライクゾーンに球がいった。

ああ、こういう事かと思ったけど、打たれるのが嫌だから、試合ではやっぱり思いっきり投げた。

当然、フォアーボールの連続で押し出しになって、点が入り出した。

こりゃ、まずいと先輩達が投げていた変化球を見て盗んだ。

カーブ、シュート、フォーク

見よう見まねで投げてみた。意外に投げれた。

直球が来ると思っていた、バッターは次々に三振した。

力も加減して投げれるようになった。

そのうち、だんだん、コントロールがついてきて

球が、ストライクゾーンに集中してきたのが、わかった。

面白いように三振が取れた。

少し、人気者になったような気がした。

ただ、それと同時に、怖くて直球が投げれなくなった。

ゆっくり投げたら、打たれるんじゃないか。おもいっきり投げたら暴投になる。

真ん中で、どうにかして三振とらなきゃ。

いつも、そのことが脳裏をよぎった。

でも、現実はどんどん変化球に頼り続けた。

スライダー、ナックル、スクリュー、しまいには消える魔球まで。

当然、投げるのもどんどん難しくなった。あまりにも球の握り方が複雑なので、手が、指がつりそうになった。

加えて自分の技術の未熟さが追い打ちをかけた。変化球は誰にでも投げれるもんじゃない。

やはり、さんまさんや紳助さんの投げるボールにはかなわない。

自分が投げたいと思う球と、三振をとる為に投げなければならない球とのギャップに悩んだ。

結果、打たれたくない一心で中途半端な変化球を投げ続ける。いつしかそんな器量の狭い男になってしまった。

私は人を喜ばせることでお金を稼ぐプロになりたかった。

このままで果たして、人を喜ばすことができるのか。

不安になった。自分自身が楽しくなくなった。

自分を楽しませる事が出来ない人間が、他人を楽しませる事など出来るはずがない。

そう思った瞬間、マウンドに立っている自分の膝がガクガクした。

このままでは、もう球が投げれない。中途半端な球を投げ続けて、打たれてしまうような無様な格好を見せるくらいなら

潔く、マウンドを降りた方がいいんじゃないか。

生まれて初めて心が折れた。

自分にそう言い聞かせ、選手交代を告げられていないのに、自らの意思でブルペンにさがった。

苦渋の決断だった。もう二度とマウンドにはあがらないと、自分の中で誓った。

戦いながら頑張り続けている、全国にいるであろう同志達に申し訳ないとも思った。

10年間のブルペン生活をしていて、最近ふと、思い出したことがある。

越前屋俵太は三振を取る為に、投げてたんじゃない。

ただ、おもいっきり投げたかっただけなんじゃないか。そう、打たれるとか三振とか、そんなの関係なかったんじゃなかったのか。

今更ながら、初心を思い出した。

思い出してしまったんだから、今一度、思いっきり直球を投げるしかないと思った。

打たれようが打たれまいが、そんな事はどうでもいい。

ど真ん中めがけて、ありったけの力を振り絞って投げる為、いま一度マウンドに立とうと思う。

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俵越山ニューヨークNOW!

昔、テレ朝で越前屋俵太として出演してた「巨泉さんの使えない英語」のロケ以来のニューヨークです。内容は、私が街行く人達にわざと間違った和製英語で喋りかけて、通じないというロケ映像を見ながら、スタジオでテレビ界の重鎮、大橋巨泉さんが、正しい英語を解説するというものでした。巨泉さんから名指しで頂いた仕事でしたので、緊張しながらも、海外ロケでは好き勝手していたのを覚えています。

アメリカ中の道端で、朝から晩まで、道行く人達にノーアポで声をかけまくり、英語だと思っている単語が通じないというズレから笑いが起こり、これはこれで英語が完璧に喋れなくても、身振り手振りと、乗りで、取り敢えず相手を笑かしてしまえば、外国で生きていくのもなんとかなるんじゃないかと思えた貴重な経験でした。

ニューヨークでは、ウォール街に行って、敢えて忙しそうに働いているニューヨーカー達に喋りかけて、おもいっきり無視されるようなロケをしていたような記憶があります。

「アイ フロム ジャパン バイ エアープレイン エコノミークラス!」っていうのが、決め台詞でした。あれから20年たった今もやっぱり「アイ フロム ジャパン バイ エアープレイン エコノミークラス!」です。そう言えば、昔、飛行機でトミーズにあった時、向こうはファーストクラスでした。おもわず、「さすが売れっ子は違うね!」って聞いたら「せやねん!」て言ってました。庶民的なキャラのはずだったんですが、みんなそうやって人生の階段を登って行くんですね。

どうやら私が登っていたのは階段じゃなくて、岩場だったのかな(笑)途中で頭が当たるんでおかしいなと思ったら、岩がオーバーハングしてて、それ以上登れなくなったって感じですかね。まあ、そんな所です、ハイ。

今回はそのニューヨークに俵越山として、オーバー・ハングは無理だったので、ジュディ・オングさんを目指して国際的スターになって、エーゲ海に行く為に、頑張りたいと思います。

それでもって、ありがたいことに、今回のニューヨークでの奮闘記を関西テレビさんが「越前屋俵太30周年特別企画」として、放送してくれるという事になったのですが、

まだ取材スタッフが来てないので、仕方ないのでひとりでカメラまわしてます。

スタッフの方、このブログ見てたら早く来て下さい!お願いします!

少年よ!世界を笑かせ!

自分の生まれ育った小さな世界の中だけに、満足して生きたくない。それは地域とか環境という意味ではなく、自分が知らず知らずのうちに持ってしまっている小さな価値観だけの中で生きるんじゃなくて、もっと広い価値観を持ちたい。その為には世界中の人達と喋りたい。

そう思って、実際に50カ国以上の国に直接出向き、道端やらなんやらで、片言の言語でいろんな人達と喋り、自分を深めたつもりでしたが、狭い日本のテレビ業界の中で、既存の価値観に負けまいと、独自の番組作りにこだわり続けた結果、反対に囚われ過ぎて、広かったはずの自分の価値観が、極端に狭くなり、他のテレビ業界者達の価値観と馴染めず、10年程前、ついに心が折れてしまい、メディアの世界から、一旦遠ざかりました。

しかしながら、やめている間、大学の教員という職業について、学生達と接する事で、彼等の価値観に触れる機会が多くありました。頭ごなしに、大人達が自分達のいる世界から、彼等を見てはいけない。そうする事で、過去を生きて来た自分たちの価値観を、今を生きる若者に押し付けてはいけない。そう思える大切な5年間でした。あらためて、本当に世界にはいろんな価値観があって、幸せすら、人の数だけ存在する事に気がつきました。

彼等と過ごす間に、彼等が抱いている将来に対する不安を我が事のように感じ、と同時に、彼等が本来持っている可能性を見いだす中で、今一度、私もあきらめかけた自分の可能性を信じてみようと思えるようになりました。

老いも若きも関係なく、可能性は誰にでも平等に存在するはずですが、問題はその可能性を信じ、実際に動けるかどうかだと思います。当たり前で単純な事なのですが、これが出来ないのが大人という生き物です。

世界を笑かす!どうやら私はやっぱりこれがしたいようです。

一瞬でも世界を同時に笑かせたら、その瞬間だけでも世界は平和のはずだ!いつもそう思っていました。世界をもっと良くする為に、経済とか、政治とかそんなことじゃなくて、笑い合う事でなんとかしたい。いまだにそう思っています。笑うことで、人に隙が生まれます。その隙がとても大切だと考えます。日常の規則正しい生活、がんじがらめの人間関係、本音を言わせてもらえば、どれもこれも嫌です。嫌だからといって逃れる事は出来ません。だからこそ、その隙が必要になってくると思います。隙は間にもつながります。ガチガチではいけません。理路整然としすぎるのも面白くない。人に間があって人間です。

少年よ!大志など抱けなくてもかまわない。
かわりに、ガチガチの自分の魂を揺さぶって欲しい。
思うがままに、おもいっきり、ブレまくって欲しい。

大丈夫!価値観はきっと何度でも創造出来る。

少年よ!世界を笑かせ!自分を揺さぶれ!ブレてブレてブレまくれ!