越前屋俵太は直球しか投げなかった。
いや、正確にいうと、直球しか投げれなかった。
彼の投げた球は誰も打てなかった。
それは、速かったからじゃない。
バッターが打てる所に球がいかなかった。
そう、彼の投げる球はいつも大暴投だった。
彼の投げる球はいつもバックネットを揺さぶった。時にはスタンドに飛び込んだ。
どんなに投げても球はストライクゾーンとは程遠い所へ飛んだ。
わざとじゃない。本気で投げるといつもそうなった。
自分でも、何処に球が飛ぶのかわからなかったから、
そりゃ、誰も打てない。
観客も面白がり、越前屋俵太の暴投ぶりを楽しんだ。
嬉しかった。と同時に少し欲がでてきた。
活躍していた有名人ピッチャーのように三振がとってみたい。
ある時、肩の力を抜いて、ゆっくり投げてみたら、ストライクゾーンに球がいった。
ああ、こういう事かと思ったけど、打たれるのが嫌だから、試合ではやっぱり思いっきり投げた。
当然、フォアーボールの連続で押し出しになって、点が入り出した。
こりゃ、まずいと先輩達が投げていた変化球を見て盗んだ。
カーブ、シュート、フォーク
見よう見まねで投げてみた。意外に投げれた。
直球が来ると思っていた、バッターは次々に三振した。
力も加減して投げれるようになった。
そのうち、だんだん、コントロールがついてきて
球が、ストライクゾーンに集中してきたのが、わかった。
面白いように三振が取れた。
少し、人気者になったような気がした。
ただ、それと同時に、怖くて直球が投げれなくなった。
ゆっくり投げたら、打たれるんじゃないか。おもいっきり投げたら暴投になる。
真ん中で、どうにかして三振とらなきゃ。
いつも、そのことが脳裏をよぎった。
でも、現実はどんどん変化球に頼り続けた。
スライダー、ナックル、スクリュー、しまいには消える魔球まで。
当然、投げるのもどんどん難しくなった。あまりにも球の握り方が複雑なので、手が、指がつりそうになった。
加えて自分の技術の未熟さが追い打ちをかけた。変化球は誰にでも投げれるもんじゃない。
やはり、さんまさんや紳助さんの投げるボールにはかなわない。
自分が投げたいと思う球と、三振をとる為に投げなければならない球とのギャップに悩んだ。
結果、打たれたくない一心で中途半端な変化球を投げ続ける。いつしかそんな器量の狭い男になってしまった。
私は人を喜ばせることでお金を稼ぐプロになりたかった。
このままで果たして、人を喜ばすことができるのか。
不安になった。自分自身が楽しくなくなった。
自分を楽しませる事が出来ない人間が、他人を楽しませる事など出来るはずがない。
そう思った瞬間、マウンドに立っている自分の膝がガクガクした。
このままでは、もう球が投げれない。中途半端な球を投げ続けて、打たれてしまうような無様な格好を見せるくらいなら
潔く、マウンドを降りた方がいいんじゃないか。
生まれて初めて心が折れた。
自分にそう言い聞かせ、選手交代を告げられていないのに、自らの意思でブルペンにさがった。
苦渋の決断だった。もう二度とマウンドにはあがらないと、自分の中で誓った。
戦いながら頑張り続けている、全国にいるであろう同志達に申し訳ないとも思った。
10年間のブルペン生活をしていて、最近ふと、思い出したことがある。
越前屋俵太は三振を取る為に、投げてたんじゃない。
ただ、おもいっきり投げたかっただけなんじゃないか。そう、打たれるとか三振とか、そんなの関係なかったんじゃなかったのか。
今更ながら、初心を思い出した。
思い出してしまったんだから、今一度、思いっきり直球を投げるしかないと思った。
打たれようが打たれまいが、そんな事はどうでもいい。
ど真ん中めがけて、ありったけの力を振り絞って投げる為、いま一度マウンドに立とうと思う。